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前川國男邸は1942年に前川國男氏の自邸として建てられましたが、事務所として使用されていた時期もあり、竣工から解体までをいくつかの時期に分けることができます。 まず、竣工から1945年の空襲までは前川國男氏が住宅として使用していました。(A) しかし1945年の空襲で銀座の事務所が焼けたため、この年の5月から1954年まで自邸を自宅兼事務所として使用していました。(B) 1954年に前川氏は結婚し、同年8月に四谷のミドビルに事務所を移してから1973年に解体されるまで、夫妻で暮らしていました。(C) 解体された後は、長野県軽井沢の別荘に部材として保管されていました。
建築当時は第二次世界大戦中で、建築建材は不足していました。また、延べ床面積100平方メートル以上の住宅の建築が法律(「木造建築統制規則」1939年/昭和14)によって制限されていました。
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前川國男邸の3Dモデルを目の前に召喚!拡大縮小・回転も自由自在。お好きな場所に前川國男邸を配置してお楽しみください。
#04
前川國男邸をご紹介いたしました。いかがでしたか?
この建物は1972年(昭和47)に解体され、軽井沢にあった前川家の別荘に格納されました。前川氏は、この建物を軽井沢に移築することを計画していたそうです。しかし、1986年(昭和61)に前川氏が亡くなったため、実現されることはありませんでした。
その数年後、開園準備をしていた当園で復元する話が持ち上がり、軽井沢にある前川家の別荘内に格納された部材を確認しに行きました。当初は腐敗して使い物にならないと思われていた部材でしたが、幸いにも比較的良好な状態を保っていました。そのため、1996年(平成8)に江戸東京たてもの園に復元され、翌年公開されました。それから約30年が経つ今もなお、建築を学ぶ学生や建築愛好家を中心に、園内でも特に人気の高い復元建造物であり続けています。
第1回「測ってみようたてもの園~3Dスキャンワークショップ~」を2024年12月16日に開催しました。このワークショップは、新たな鑑賞体験や文化財継承へのさらなる理解を深めていただくことを目的にしたものです。今回は東ゾーンの復元建造物等を使用して体験してもらいました。
#03
かつて東京にあった昭和の豪華銭湯「子宝湯」を3Dスキャン。メタバースならぬ、Meta Bathとして生まれ変わりました。時空を超えて、銭湯の魅力にどっぷり浸かってみてください。
#02
子宝湯の3Dモデルを目の前に召喚!拡大縮小・回転も自由自在。お好きな場所に子宝湯を配置してお楽しみください。
#01